さよなら複製都市

承前っぽいよ


貨幣鋳造を担う役所として生まれた「銀座」。それはいつしか繁栄のシンボルと見なされるようになり、商いを糧とする人々の間ではある信仰が広まっていきました。いわゆる「銀座信仰」のはじまりです。メッカ銀座を訪れることは全国の商人の憧れでしたが、当時は交通手段が未発達なこともあり、銀座詣はごく限られた人々の特権となっていました。こうしたなかで誕生したのがコピータウン「ご当地銀座」です。キリスト教の教会や聖書、共産主義の新聞など、権力は勢力拡大のために何かしらのメディウムを必要としますが、銀座信仰の発展においては全国のご当地銀座がその一翼を担うことになりました。遙か東京都中央区(旧京橋区)まで足を伸ばさなくても、地元の駅前で銀座詣ができるようになったのです。

さて、ご当地銀座を通じて地道に勢力を広げていた銀座信仰ですが、ある人物の出現とともに転機が訪れます。指導者「せ●だみつお」の登場です。みつおはさらなる布教のために、新たなメディウム/テレビの利用を発案しました。彼の働きかけにより、1972年東京放送にて『ぎんざNOW!』の放送がはじまります。幼い頃から芸能界に身を置いてきたみつおはポップカルチャーの持つ影響力を知り抜いていました。番組ではコメディアンやミュージシャンを多数起用し、平日夕方にもかかわらず視聴率は15%近くを記録。聖歌や踊り念仏などに見られるように、宗教と娯楽が切り離せない関係にあること。人は神を理解するのではなく体感するのだということを彼は見抜いていたのです。また、みつおは儀式的プロセスの簡略化にも着手しました。従来の煩雑な手続きを省略し、ひと言「ナハ!」と唱えるだけで十分だと説いたのです。これは浄土真宗における「南無阿弥陀仏」をモデルとした試みと考えられています。結局このフレーズは浸透することなく試みは失敗に終わりましたが、近年せ●だ主義者による復興運動が試みられたことからも、一部に熱心な支持者が残っていることが判明しています。しかし、TVCFやゲーム(ナハ、ナハと唱える)を媒介したこの運動も、固定支持者数の増大には繋がりませんでした。テレビはもはや衰退期にあり、覇権的メディアはWorld Wide Webに取って代わられようとしていたのです。

組織が巨大になれば、内部の意思統一にも乱れが生じます。銀座信仰の同志のなかには、みつおの方針を好ましく思わない勢力もありました。彼らはエンターテインメント性の高い布教を嫌悪し、より直接的に銀座の優先性を訴えようと考えました。1973年「シルバーシート作戦」のはじまりです。国鉄中央快速線に採用されたこの特別席は「Silver Seat(銀座)のプライオリティ」を訴求するための秘策でした。しかし、あまりに高尚な表現のためか一般にはその意図が伝わらず、期待された効果をあげることができませんでした。結局、作戦は1997年から段階的に終了していくことになります。京王電鉄では2006年に「おもいやりゾーン」に改称。もはやシルバーシートは哀れみの対象でしかなくなってしまったのです。

さて、viaテレビな布教活動が進む一方、ご当地銀座の価値は次第に低下の傾向を見せはじめます。その一因としてあげられるのが交通機関の発達です。1964年の新幹線開通にはじまり、東京 - 地方都市の移動時間は急速に縮まっていきました。メッカ銀座が、遠くから眺める憧れの地から、いつでも訪れることのできる現実の場所へと変化したのです。そして、その衰退を決定的にしたのがテレビでした。電波を通じてホンモノの銀座を目の当たりにするようになった人々は、我が町の銀座のはずかしさ(現代的なイタさ)を自覚するようになります。「ひょっとして、これは銀座ではないのではないだろうか?」彼らがその存在に疑いを持ちはじめたとき、ご当地銀座はその役目を終えたのだと言えるでしょう。こうして東京への心理的距離が縮まり、「唯一街」銀座の時代が訪れることになるのです。


次回は、おばあちゃんの銀座「巣鴨」を考察します(ウソ)