円い罠

直線的な時間を生きているような気になっているけれど、僕らをとりまく時間の概念は円環的なものが多い。暦は12ヵ月でひとめぐりだし、干支もぐるりとまわって子にもどる。それは、時間というものが天体の動きをもとに発想されてきたせいかもしれない。東の空を駆け上がった太陽が西の地平線に沈む。あるいは月が満ちて欠けるその周期。その規則性は太古の人々の暮らしと密接に結びついていて、おのずと円い時間の意識が萌芽する。これは例のごとく僕の他愛もない妄想に過ぎないのだけれど、それでも毎日が永遠に繰り返すもののような印象はぬぐえない。

林静一の『赤色エレジー』を読んだことはあるだろうか。美しい漫画で、ラストシーンがとても印象的だ。恋人と別れ、漫画家としても先が見えない主人公・一郎は、苦悩しながらも「明日になれば、朝になれば」と希望にしがみつく。しかし、最後のひとコマで彼は絶望的な事実に気づいてしまう。「昨日もそう思った」と。

だがしかし僕らは老いていく。髪が抜け、シワが増え、肉が落ちる。マンネリとデジャヴュに満ちた毎日は閉じた円環ではなく、螺旋状に延びているのかもしれない。訪れる朝はすべて新しい朝だ。もうすぐ30に手が届くという頃になって、ようやくそれを肉体で理解できるようになったんだよ。