すれ違い

部屋に戻ると縦長の四角い書き置きがひとつ。それが2枚、3枚と増えていき、一週間で4枚。宛名の筆跡は日を追うごとに粗くなり、次第に重苦しい空気が漂いはじめる。こんな荷物にいつまでも関わっているわけにはいかないのだ。舌を打ち、階段を駆けおりる配達員。無言の部屋に荷物を運びつづけるのは、いったいどんな気分だろう。盛りを過ぎたとはいえ、残暑は厳しい。作業着の背中を濡らす汗染みのように、悪意はじっとりと広がっていく。

低気圧ボーイ

正午を過ぎても、まだベッドから起きあがれない。かろうじて窓をすり抜けてくる微弱な光。空気が重い。気圧が低い。何かが渦巻いているその気配を、からだが敏感に察知してしまう。いつかは僕の心の重さもヘクトパスカルやミリバールで予報されることになるのだろうか。上空を行く雲の軌道を想いながら、タオルケットをひきよせる。夢の中でバスが故障した。

降りはじめると厄介なので、しかたなく投票に出かける。記入用の鉛筆を持って帰りそうになり、やんわりと注意される。つかまって動機を問われたらどう答えていただろう。狭い部屋。ひんやりと冷たいデスク。押し黙る刑事。「気圧が低かったから」なんて、きっと小説のなかでも通用しない。外出ついでに喫茶店に寄り、鶏肉のサンドイッチを食べる。隣の席では、老人たちが話し込んでいる。「スターバックスはパンがまずい」「ドトールができたほうがうれしい」「知人がボケ防止にお店をはじめた」等々。おもしろいのでこっそりとメモを取ったが、いまこうして書き起こしてみるとそれほどおかしな話でもない。

冷蔵庫に入れておいたロールパンが硬く、小さくなっていた。

ある装置

月並みな話で申しわけないのだけれど、給水塔のある風景が好きだ。たとえば、夕暮れどき、集合住宅の屋上。あの妙に思わせぶりな空の余韻に、くすんだクリーム色の球体や立方体が浮かびあがったところとか。あまりに見つめすぎると怪しまれてしまうので、歩きながらぼんやりと眺める。そしてなんとなく、キレイだな、とか、最近の僕はいったいどうなんだろう、と思ったりする。しんみりすることが多い。この風景をしんみりする装置としてとらえてみようか。いや、捉えてどうしようというんだ。そんなことを頭にぐるぐるめぐらせながら帰ってきた。仕事が早く終わったから泳ぎに行こうと思っていたのに、今日はプールが休みだった。蒸し風呂のような部屋の中で、少し筋トレをしてみた。

エイリアン

エイリアンには髪がない。ラージノーズ・グレイも、リトル・グリーンマンも、卵のようなつるりとした頭部だったと、遭遇者たちは証言している。この漆黒の夜空のどこか、遙かに高度な文明をもった異世界では、僕ら幼き人類の悩みなどとっくに解決されているのだろう。21世紀の地球に生きる僕は、いまだにこの頭から伸びつづけるスパゲティを持てあましているのに。

カットハウスの大きな鏡に、釈然としない顔が映っている。これはアートだろうか。アートならいい。でも僕はふつうの髪型にしてほしいと願ったはずだ。願うだけではダメなのか。いくら見つめてみても真偽が裏返る気配はない。鏡は都合のいいときばかり正直になる。いつまでたっても右と左は間違えるくせに。いかがですか、と理容師が尋ねる。何も言えない。なぜなら、それは決して問いかけなどではなく、「これで終了です」という意味に書き換えられた新しい日本語だからだ。言葉が通じないのなら、あとはもう途方に暮れるしかない。

君の首から上についているのは飾りか? 不出来な息子に呆れるあまり、父はよくそう言って苦笑した。いまなら言える。そうだよ、これは飾りなんだ。だから別に失ってもいい。頭なんていらない。こんな些細なことにいつまでも煩わされるのなら、熱い風が吹く、カラカラに乾いた惑星を彷徨って、僕はジャミラになりたい。


■See Jamira

クローバー

古いビルの一角で、そこだけコンクリートがはだけていた。植栽の跡だろうか。湿っぽい土があらわになって、ぽつぽつとクローバーが芽吹いている。スーツの裾を気にしながら、僕は四つ葉を探してみる。なぜだろう。クローバーを見つけると軽い強迫観念にかられてしまうようだ。

毎週日曜日、陽が昇りきり、僕らのささやかな気力がゼロに近づくと、コーチのホイッスルが長い溜息のように響きわたる。父が時間どおりに迎えに来ることはないので、暇を持てあました僕は川沿いの土手で四つ葉のクローバーを探すことになる。時間がありあまっていたせいだろうか。四つ葉にしろ、六つ葉にしろ、とにかく探せばいくらでも見つかった。摘みとった葉の数だけ幸せになれるのなら、あのころ、僕より幸福な子どもはそう多くはいなかっただろう。

ビルの片隅に目をこらす。期待したつもりはなくても、当てが外れればそれなりに肩を落とすことになる。身勝手な失望感を埋め合わせるために、僕はアイスクリームを買って帰ることにした。欠けた一葉に105円で折り合いをつけられる、それが大人の良いところだ。

夜、風呂上がりに冷凍庫のドアを開く。口にふくむと、大人の幸せは跡形もなく溶けていく。

シラフ

このところ、「ひとり」を意識することが多くなった気がする。それは、真夜中のオフィスで感じていた空虚さや、仕事から離れていたころの切羽つまった孤独感とは少し違う。うまく説明するのはむずかしいのだけれど、たとえば午後七時に帰宅して、キッチンの小さな蛍光灯の下で食器を洗う。サクサクと野菜を刻み、炊飯器のスイッチを入れ、アラームが鳴るまでテレビを眺めて時間をつぶす。そのときに、すっと胸の中に舞い降りるひとりの感覚なのだ。まるで、急に酔いが醒めてシラフになったときのように、僕の生活は妙な静けさをたたえている。

初日

連休を目前にして、君のいる世界に復帰することになった。初出社は今日、つまり5月1日。つづいて、2・3・4・5・6と休日。7日8日と出社して、9日10日はまた休み。いまいちパッとしないはじまりだけれど、僕らしいといえば僕らしい。淡い色あいから、少しずつ深みを増していくグラデーションのように、さりげなく社会に染まっていくのだ。朝日を浴びながら仕事に出かける気分というのは、それほど悪いものじゃない。今のところ。